仕事してる時の自分が意外と好きなのかも
今日は日記ブログです。
一人暮らしを始めると決まったり、その準備に追われたり、副業を始めてしばらく経ったり…
最近のacoは環境の変化の中で割とキャパオーバー気味です。
人よりキャパは少ない方で、オーバーしてパニック状態になると不適合を起こして逃げ出したりすることがあって、過去何度かトラウマになっていることがあります。
(今はその話は書きませんが、いずれ…)
その為、なるべく刺激を少なく、穏やかに変化しようとしてます。
普通に効率よく行動して、問題なくできればよいのですが、自分の中の負荷のかかる事柄をなるべく避ける調整が必要なようで、その対応に追われて疲れ気味です。
早く全部終えてゆっくりしたい。。。
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最近副業を始めたことで、新しい人間関係ができたり
メインの仕事について違った視点が生まれたりしています。
私の謎特性として、一つのことだけやっていると、客観性が失われてつらくなって調子が悪くなるのですが、他の事も同時進行でやると、逃げ道が出来て気持ちがラクになることが多々あります。
仕事もそのようで。
今はどちらの仕事も負荷が少なく、続けられそうな状態にあるので、もっと慣れていって負荷を限りなくゼロにしていきたいなあと思ってます。
仕事だけでもだめで、仕事と恋愛とか人間関係も同じ天秤にかけるとうまくいったりします。どちらかが不調な時は、もう一方に意識を向ける。
全部何をやってもだめな時は、ひとり時間を作るといいみたいです。
単に体の疲れや不調が原因だったりするので。
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それで、仕事というものがこの歳になってようやく自分の中で居場所を見つけた感があって。その話を自分の中でまとめたいと思って今日ブログを書いてます。
ずっと働くことがこわかったんです。
高校生で初めてアルバイトした時からずっと。
普段の自分とは違う「仕事の自分」
それがしっくりこなくて。
仕事中は「やるべきこと」に追われていて、任された仕事は
納得のいく形で終わらせたいし、それが出来ないとすごく落ち込む。
中途半端な状態だと、その後何日もそわそわしたり。
負荷の大きい仕事についていた時は
ずっとその緊張状態だったので、3年程で燃え尽きてしまいました。
その頃は、仕事が終わった後や出勤前の時間、お休みの日も仕事のことが頭から離れず、気が休まることがありませんでした。
いつもびくびくしていて、休日は気を失ったように寝てばかりで、遊んだりとかできなかった。
今考えると、完全に鬱状態だったなってわかるんですけど、当時は初めてのことで、わからなかったなあ。
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「仕事の自分」て考えてみれば、「社会的な自分」のことなのですよね。
親から見た子どもの自分でもなく、友達と居る自分でもなく、肉体としての客観的な自分というか。
その世界では、やったことが評価され、できないことは減点される。生まれもった肉体のスペックはくじ引きのごとく人それぞれ当たりはずれがあるけど、みんなおんなじ基準で判断されて優劣をつけられる。
そして自分はその世界で弱者で。
強い者に搾取される存在だった。
社会に出てから10年近く経って、今ようやく弱い自分なりのこの世界での生き方を身に着けたのかなという感じ。
世の中に出回っているお手本より、自分の成せることは思ったより随分と少ない。
それを納得して、その上で愛しい人生を構築していく覚悟が、今はあります。
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今現在の「仕事の自分」が、意外と一番好きかもしれない。
って今思うんです。
「恋人と居る時の女の自分」
「友達と居る時のゆるい自分」
「ひとりで居る時の根暗な自分」
「親と居るときの子どもの自分」
どれもまだしっくりきていない所も多いですが
「仕事の自分」
は割と好き。かも。
「真面目」「責任感がある」「必要以上にやらない」
「きらきらしてる」「笑顔」「丁寧な言葉」「穏やかな感情」
「無理をしない」「時々ズル休みする」「疲れたら休む」
「仕事よりプライベートが大切」「お金の為に働く」
そんなワードが浮かびます。
自分の為に、無理しないことを選べる自分が好きだったりする。
どんな時も自分を一番大切にできることが板についたら
また次の段階へ行けるのでしょうけど。
恐らくあと1~2年くらいはこのままだろうなあ。
もっともっと余裕と蓄えが必要な気がする。
ゆっくり穏やかに。丁寧に。
生きていきたいのが今の気分です。
好きな自分を軸に、どこにいても、誰といても
居心地の良い自分でいられるように。
いつも裏表なく本音の自分でいることが今の目標です。
「仕事の自分」が一番本音ということですね!今の所!